ここは都会のはずれにあるマンションの一室。
部屋の中で一番陽当たりのいい場所に、一匹のキジトラ柄の猫が眠っています。
実はこの猫、猫のことを何も知らない住人に猫について教え導く為、12年前にここへやって来ました。
猫の先生でした。
猫の先生は、眠っているフリをしながら、実は住人のことを毎日観察していました。
もう12年も経った。
あなたは猫について、たくさん学んだね。
よく頑張ったね。
あなたは、身体の小さかったわたしを大切に大切に傷つけないようにいつも優しく抱いてくれた。
寒い夜は、わたしを羽毛布団とあなたの体温で包んでくれた。自分の肩が布団から出ていても、わたしが寒くないようにと、暖かくしてくれた。
12年の間に、あなたはわたしの要求を理解するようになった。
たとえ早朝でも深夜に及んでも、わたしの要求を嫌な顔ひとつせず、受け入れてくれた。
猫のことをたくさん学んだね。
偉かったね。
悲しいことも楽しいことも、猫についてたくさん学んだね。
教え甲斐があったよ。
12年の間に、あなた自身が辛くどうしようもなくなってしまったこともあったね。
何も出来ず何も受け付けず、その時期のあなたはそれまでとは違う日々を送った。
そんなときさえも、あなたはわたしのことだけは忘れなかった。
猫と暮らすということはそういうことだと解っていたんだね。
辛くどうしようもなかったはずなのに、わたしにごはんをありがとう。水をありがとう。
わたしはあなたの側に寄り添うしかことしかできなかった。
一緒に寝ることしかできなかった。
わたしの背中や頭にあなたは顔を埋めていたね。
猫と一緒だとぐっすり眠れるはずだよ。それも教えたよね。
わたしの背中や頭が濡れてしまうことがあったね。
人間は辛い時に目から水滴を落とすのだとそのときわたしは初めて知った。
人間って、不思議な生き物だとわたしは知った。
近くに寄り添うことしかできなかったけれど、あなたが少しずつ落ち着きを取り戻していくのを見ていたよ。
12年の間に、わたしはあなたと同じ年齢になり、あなたの年齢を越えてしまった。
それでもあなたはまったく変わらず、わたしの側にいて、優しいまなざしでわたしを見つめ、声をかけ、ゆっくりと頭や背中や顎を撫でていた。
とても心地よかった。
12年の間に、あなたは、猫にしつこくするのはいけないことだと知った。
距離感というんだよ。
なかなか覚えが悪かったけど、まあまあ出来るようにはなっていた。
出来なければ罰として手の甲に噛みつくことにしていたよね。
わたしがあなたよりずっと歳上になってからも、時々罰を与えることがあった。
そんなとき、あなたはいつもにこにこしていた。
もしかして、わざとしつこくしていたのかな。
だとしたら、人間って、おもしろいね。
猫のことを、日々学び続けた。
たくさん学ぶあなたは私には楽しそうに見えていた。
わたしのことを誰かに話す時、わたしにはあなたが少し誇らしげにしているように見えていた。
猫と暮らす人間は誰でもそうなんだよ、とあなたは言っていた。
人間って、おかしな生き物なんだね。
猫に、死という概念はあるのかな。
あなたはわたしを見ながら、ある日そう思っていたよね。
わたしは、ただ生きるだけだよ。
寝て、起きて、ごはん食べて、寝て、少し動いて、寝て、排泄して、寝て、そして、また眠る。
ただ生きる、それだけだよ。
わかっていたよね。
わたしはあなたに、そう教えた。
あなたは、しっかりと学んだ。
あなたの姿が見えなくなったとき、それでもあなたの匂いは感じていた。
声も聞こえていた。
わたしを触るあなたの手の感触、胸のあたたかさ、包む両腕の優しさ、いつもと変わりなかった。
あなたの匂いが消えたとき、それでもあなたの声は届いていた。
ずっと側にいることを感じていた。
それまで以上に何度も何度も繰り返し抱き上げたよね。
それまで以上にあなたが力を入れていることがわかった。
でも全然痛くはなかったよ。
わたしを傷つけないように大切に大切に胸に抱いているのはずっと同じだったから。
わたしのおでこに水滴が落ちてきたよ。
人間は目から水滴を落とす生き物だからね。
あなたはわたしを何度も何度も繰り返し胸に抱いた。
しつこいくらいに。
でも、それは、それまでのしつこさとは違っていた。
ちっともいらいらしなかった。
わたしは穏やかな気分だった。
とても落ち着いていた。
だから、大丈夫。
もう噛まないよ。
わたしはあなたの前から消えた。
あとは、あなたに任せる。
目から水滴が落ちるなら、落ちない方法をかんがえなさい。
猫がいなくて眠れないなら、眠れる方法をかんがえなさい。
あなたは、わたしのことで、色んなことを考える人だった。
だから、きっと、答えは見つかるよ。
わたしはあなたの前から消えた。
あとは、あなたに任せる。
いつまでもあなたの近くに漂っていてもいい。漂っていなくてもいい。
ずっとあなたを見守っていてもいい。見守っていなくてもいい。
常にわたしの一部を持ち歩いてもいい。持ち歩かなくてもいい。
写真のわたしに話しかけてもいい。話しかけなくてもいい。
あなたの中に入りあなたと一体になってもいい。一体にならなくてもいい。
わたしは、あなたの願う通りになるよ。
猫の先生のおはなし
もうひとつのトヨの『今日も眠いです』
部屋の中で一番陽当たりのいい場所に、一匹のキジトラ柄の猫が眠っています。
実はこの猫、猫のことを何も知らない住人に猫について教え導く為、12年前にここへやって来ました。
猫の先生でした。
猫の先生は、眠っているフリをしながら、実は住人のことを毎日観察していました。
もう12年も経った。
あなたは猫について、たくさん学んだね。
よく頑張ったね。
あなたは、身体の小さかったわたしを大切に大切に傷つけないようにいつも優しく抱いてくれた。
寒い夜は、わたしを羽毛布団とあなたの体温で包んでくれた。自分の肩が布団から出ていても、わたしが寒くないようにと、暖かくしてくれた。
12年の間に、あなたはわたしの要求を理解するようになった。
たとえ早朝でも深夜に及んでも、わたしの要求を嫌な顔ひとつせず、受け入れてくれた。
猫のことをたくさん学んだね。
偉かったね。
悲しいことも楽しいことも、猫についてたくさん学んだね。
教え甲斐があったよ。
12年の間に、あなた自身が辛くどうしようもなくなってしまったこともあったね。
何も出来ず何も受け付けず、その時期のあなたはそれまでとは違う日々を送った。
そんなときさえも、あなたはわたしのことだけは忘れなかった。
猫と暮らすということはそういうことだと解っていたんだね。
辛くどうしようもなかったはずなのに、わたしにごはんをありがとう。水をありがとう。
わたしはあなたの側に寄り添うしかことしかできなかった。
一緒に寝ることしかできなかった。
わたしの背中や頭にあなたは顔を埋めていたね。
猫と一緒だとぐっすり眠れるはずだよ。それも教えたよね。
わたしの背中や頭が濡れてしまうことがあったね。
人間は辛い時に目から水滴を落とすのだとそのときわたしは初めて知った。
人間って、不思議な生き物だとわたしは知った。
近くに寄り添うことしかできなかったけれど、あなたが少しずつ落ち着きを取り戻していくのを見ていたよ。
12年の間に、わたしはあなたと同じ年齢になり、あなたの年齢を越えてしまった。
それでもあなたはまったく変わらず、わたしの側にいて、優しいまなざしでわたしを見つめ、声をかけ、ゆっくりと頭や背中や顎を撫でていた。
とても心地よかった。
12年の間に、あなたは、猫にしつこくするのはいけないことだと知った。
距離感というんだよ。
なかなか覚えが悪かったけど、まあまあ出来るようにはなっていた。
出来なければ罰として手の甲に噛みつくことにしていたよね。
わたしがあなたよりずっと歳上になってからも、時々罰を与えることがあった。
そんなとき、あなたはいつもにこにこしていた。
もしかして、わざとしつこくしていたのかな。
だとしたら、人間って、おもしろいね。
猫のことを、日々学び続けた。
たくさん学ぶあなたは私には楽しそうに見えていた。
わたしのことを誰かに話す時、わたしにはあなたが少し誇らしげにしているように見えていた。
猫と暮らす人間は誰でもそうなんだよ、とあなたは言っていた。
人間って、おかしな生き物なんだね。
猫に、死という概念はあるのかな。
あなたはわたしを見ながら、ある日そう思っていたよね。
わたしは、ただ生きるだけだよ。
寝て、起きて、ごはん食べて、寝て、少し動いて、寝て、排泄して、寝て、そして、また眠る。
ただ生きる、それだけだよ。
わかっていたよね。
わたしはあなたに、そう教えた。
あなたは、しっかりと学んだ。
あなたの姿が見えなくなったとき、それでもあなたの匂いは感じていた。
声も聞こえていた。
わたしを触るあなたの手の感触、胸のあたたかさ、包む両腕の優しさ、いつもと変わりなかった。
あなたの匂いが消えたとき、それでもあなたの声は届いていた。
ずっと側にいることを感じていた。
それまで以上に何度も何度も繰り返し抱き上げたよね。
それまで以上にあなたが力を入れていることがわかった。
でも全然痛くはなかったよ。
わたしを傷つけないように大切に大切に胸に抱いているのはずっと同じだったから。
わたしのおでこに水滴が落ちてきたよ。
人間は目から水滴を落とす生き物だからね。
あなたはわたしを何度も何度も繰り返し胸に抱いた。
しつこいくらいに。
でも、それは、それまでのしつこさとは違っていた。
ちっともいらいらしなかった。
わたしは穏やかな気分だった。
とても落ち着いていた。
だから、大丈夫。
もう噛まないよ。
わたしはあなたの前から消えた。
あとは、あなたに任せる。
目から水滴が落ちるなら、落ちない方法をかんがえなさい。
猫がいなくて眠れないなら、眠れる方法をかんがえなさい。
あなたは、わたしのことで、色んなことを考える人だった。
だから、きっと、答えは見つかるよ。
わたしはあなたの前から消えた。
あとは、あなたに任せる。
いつまでもあなたの近くに漂っていてもいい。漂っていなくてもいい。
ずっとあなたを見守っていてもいい。見守っていなくてもいい。
常にわたしの一部を持ち歩いてもいい。持ち歩かなくてもいい。
写真のわたしに話しかけてもいい。話しかけなくてもいい。
あなたの中に入りあなたと一体になってもいい。一体にならなくてもいい。
わたしは、あなたの願う通りになるよ。
猫の先生のおはなし
もうひとつのトヨの『今日も眠いです』