昨年の今日、今頃、まだ考えていた。
朝になったらまず何をすればいいのか。
今、何をすればいいのか。


何かトヨのためにできることがあり、そのためにどうすればいいのか、まだ考えていた。


と同時に、トヨの死も考えていた。


しかし、トヨが数時間後に死んでしまうとは、そこまでは考えが及んでいなかった。


眠りに就き、そして、目覚めた昨年の今日、早朝、傍らのトヨの姿を目にして、すぐに覚悟は決まった。
決めざるを得ない状態だった。
もう何も、トヨのためにできることはない、と悟った。


悲しくて、辛くて、心が追いつかなかった。
私なりに、大切にゆっくりと見送ったが、その後も日々を過ごしていたが、心だけは昨年の今日に置き去りにしてしまった。
そのように感じていた。


トヨの小さな肉体を火葬し、トヨの美しい骨を拾った場所。
休日の度に歩いてそこまで行く。
何かを考えている訳ではない。
出向くことで何か変わる訳でもない。


歩いて行くには少しだけ遠いその場所。
空を仰ぎ、風に吹かれ、木々を見上げ、時には何も見ず、ただ、歩く。


自分の心を置き去りにしてきたのは、昨年の今日という時ではなく、その場所かもしれない。
ある時、そう思った。
先には進んでいるのだから。


その場所へ通う度に、少しずつ、置いてきた心の欠片を拾い集めているのかもしれない。
日常は変わらず続いているから。
そして、トヨへの思いがどんどん深く温かくなっていくから。


とよちゃん。
昨年の今日、君が死んだその日に、暖房のスイッチを切った。
部屋の中なのにとても寒くて、厚着をしてマフラーを巻いて過ごした。
散歩をすると、涙が出た。
鼻水も出た。
目や鼻を拭きながら歩く私の姿は、すれ違う人たちにはどう見えていたのだろう。
花粉症のせいだと思われていたのならいいなと思う。


とよちゃん。
君と過ごせなかった今年の春がやってきたよ。
猫、がいるよ。私の傍に。
まだ寒い朝もあるから、暖房のスイッチを入れているよ。
子猫は、君が元気だった時と同じくらいの大きさになった。
同じように抱っこして、同じように撫でているよ。
君とは違って、とてもお喋りだよ。
君と同じで、とても甘えてくるよ。
君が過ごしていた同じ場所で寛いで、君が使っていたお皿やおもちゃを使ってるよ。


とよちゃん。
君は、玄関を開けると必ずそこで待ってくれていた。
今、同じように出迎えてくれる猫が、私の傍にいる。
そのことが、嬉しくもあり、少しだけ寂しい。
私を頼り、傍らに座る、そんな健気な猫と毎日過ごしている。
そのことが、嬉しくもあり、少しだけ申し訳ないと感じる。








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その猫に触れる時、君を思っている。
君を思う時、その猫を思っている。


私の散歩に終わりはない。
そう思う。
まだまだ歩く。
きっと、これからも何度も何度も歩く。
そう思う。





もうひとつのトヨの『今日も眠いです』


ふうです。猫なのです。