トヨはいい猫でした。
とてもとてもいい猫でした。
2017年3月14日、その生涯を終えました。
トヨの命は尽きました。
桜の咲く少し前の出来事でした。
2019年3月23日、粉骨。
命とは何ぞや、魂とはいったい、存在の意味するところとは、そしてそれらが科学や哲学や宗教にも関連するものであるのかどうか、私には到底解りません。
しかし、一切のことは、私のトヨへの思いの前では何も必要ありませんでした。
難しく考えることは初めから何もなかったのかもしれません。
粉骨直後、機械の蓋を開くと、粉の細かい粒子が室内にさっと広がりました。
まるでトヨが空中を漂っているかのように感じられました。
言葉にならない私の思いが、そこにあるようでした。
トヨは、私には見えないけれど漂っています。
私がそう感じるとき、心に思うとき、脳裏に浮かぶとき、トヨは私の思いのままに漂っています。
それでいいです。
とよちゃん。
君を、ほんの少しだけ、口に含んでみたよ。
ざらっとしたよ。
だからと言って、何も変わらない。
私はとにかく君のことが大好きなんだ。
※
以下、猫のお骨の写真を掲載します。
苦手な方がいらしたら、どうぞスルーなさってください。
谷川岳子さん(海母ともいう)が、粉骨に協力してくれました。
更に、土のない都内のマンション暮らしの私のために、谷川家の庭に粉を撒くことを快く受け入れてくれました。
とても美しく、脆く、そしてとても愛らしく、骨であってもいとおしいものです。
実際には、粉骨機械の想像を越えた音の大きさに驚いて、ななちゃんはそこら辺の荷物を蹴散らしながら大慌てで逃げてしまいました。
(笑)
夏には目に眩しいほどの鮮やかな緑色の芝生になることでしょう。
これも輪廻転生なのでしょうか。
よく解りませんが、難しいことは考えないようにします。
執着はしたくないし、私の性分でもありません。
この夜、自宅に戻ってすぐに残りの粉を小分けにしてみました。
怪しさしかない。
(笑)
もうひとつのトヨの『今日も眠いです』